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保育園造形 b

とっても真剣

これもクレパスの遊び方

いっぱい混ぜました

新学期が始まりました。
今年はどんな出会いがあるのか、人も作品も。
3さい「クレパスで遊ぼう」
新3さいの子たちとは、始めて造形の時間を一緒に遊びます。
まずは、造形の時間て嬉しいな、と感じてもらうこと
造形の先生が来たらなんか楽しい事が起こるぞ、と信頼してもらうこと
それが今回の活動のねらいです。
子ども達に自由にクレパスで遊んでもらって、お話を聞いたり
一緒にビックリしたり、喜んだりします。
始めは、初対面の私に少し緊張気味の子も、お絵描きを通して
触れ合えることがわかると、だんだん打ち解けていきます。
絵を描く事は、この子たちにとって、まさにコミュニケーションなんですね。
ちなみに。「クレパスで描こう」ではなく「クレパスで遊ぼう」としたのは
描く以外にもクレパス自体の感触や色混ぜなどの魅力に惹かれる子がいるから。
クレパスの要素(描けることも含めて)全体で遊ぼうよ、という意味です。

1色ずつ確かめています

絵になってきた子もいます

目と口ね。囲まないのね

丁寧に塗り込んでます

大きく手を動かしています

数、文字、絵が並列してます

4さい「水性ペンで遊ぼう」
私の関わっている園では、4さいになると個人の水性ペンを買ってもらえます。
クレパスとは違った、シャープで鮮やかな線が新鮮でワクワクします。
ペンは線を描く事がメインになりますが、色を塗り込んだり色混ぜしたり
することもできるので、その子興味によっても色々と遊べるのが魅力です。
新しい画材は、新しい表現の予感がします。

その子の興味が見られます

洗濯機の中のお洋服

面白い形だねー

いろんなこいのぼり

  
5さい 「こいのぼりを造ろう」
最年長クラスになった5さいさんは、お兄さんお姉さんになった
という意識で、グッと表情も変わって来た感じがします。
5さいさんだからこそ出来る、みんなで協力して造る、大きなこいのぼり
挑戦する?と聞いてみると「やる!」「できるよ!」とかっこいい答えが
帰ってきました。
今回は、それぞれが、こんなこいのぼりの模様がいいな、というのを
考えてみることにしました。
後日、クラスで一匹のこいのぼりにデザインをまとめる為に話し合います。
実はこの「話し合い」こそが、この活動のねらいなんです。
こいのぼりは ねらい の為の、きっかけなんですね。
さて、どんなこいのぼりになるかな?
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●つくる

指にはめます

きゃ!見てる

立てば何でも相撲になるね

ただの切れ端を
ただの画用紙を
ちょっと折ってみるだけで
ちょっと曲げてみるだけで
命が吹き込まれる瞬間があります。
メインの活動の横っちょで、それらは生まれます。
立派でなくてもいいのです
そこには、手を使って「造る」ということの
それ自体の喜びがあるんです。
そんな小さなきっかけを
ちゃんと拾える大人でいたいと思います。

くりくり動きます

赤い紙の使い方が素敵

こんなクレヨンの使い方もあります

トントン相撲用のチャンピオンベルト

なんか微妙に凝ってる

造るって楽しい

簡単パズル、あまり紙で

繋ぐと面白いんだね

ヒントはどこにでもある

セロテープを丸めた信号機

アルミホイルにも命が宿る

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●こういう絵もあります

不思議な雰囲気

愛おしい余白

水彩の美しさ

子どもの絵というと、元気で賑やかで芸術的ね
なんていうイメージがあると思いますが
この仕事をしていると、たまに奇跡の様な
画面に出会う事があります。
絵からかもし出される
空気感というか情緒の様な物に吸い込まれる
錯覚を起こす様な
そんな画面です。
子どもは、大人が考えるよりも
ずっと意識的に画面を操作し、つくりあげる事ができるのです。
とは言うものの大人の様に計画的に客観的に描くと言うよりは
まるで絵の中に入って内側から描いているような
そんな感じがします。
※絵をクリックすると拡大します。

夜、満月、そして植え込み

魚の絵、配置の良さ

高速道路、色合い抜群、抜けの雲

3さい、波の絵、伝わります

そこに紅葉を描くかね

幸せになれる一枚

景色が広がるようです

テケテケ歩きそう

3さい、夕焼け

家並み、静かな空気

夕焼けをバックに走る

カワセミが魚を捕る瞬間

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●その後のKちゃん、そして思うこと。

頭飾りもお魚。

どんな課題もお魚が登場します

5さい始めの絵

以前、このページで取り上げた「絵を描く事に楽しさを見いだせないKちゃん(4さい)」の話しを書きました。
その後のお話を書きます。
そしてKちゃんとの関わりを経て、私が最後に感じた事のお話です。
4さいの終わり頃からKちゃんの絵に変化が起き始めました。元々生き物が大好きだった
Kちゃんは、自分なりに、お魚の描き方をあみ出しマスターしたのです。
自分の好きな物、思いのある物を、形として目の前に表せることは、とても嬉しいことです。Kちゃんは、そのお魚の形を繰り返し繰り返し、確かめる様に描きました。どんな活動をしても、その自分の得意技であるお魚を描く様になりました。

4月 繰り返し描きます

少し進化しました

工夫も見られるようになりました

そこからはもうお魚三昧です。
私は、Kちゃんが「形」を手に入れた事は、歓迎すべき事だと思いました。今まで、とにかく喜びを見いだせないでいたのに、一つ「形」を手に入れた事で、その子の得意技になり、描く事にも積極性が出て来たのです。
そのうち、カニが登場し、エビが登場し、イカやクラゲも描かれるようになりました。
一つできる事を手に入れて、そこから自分の世界を広げていく姿は、一人の人間の生き方そのもののように思えました。
5さいの秋頃には、クラスでも、「お魚と言えばKちゃん」という地位を築き、お友だちに、描き方を指導する姿までも見られました。
その自信のお陰か、担任の先生を絵の具で描く活動も、頑張って挑戦できた事は、4さいの頃からは考えられないくらいの成長ぶりでした。
クリスマスカードや、最後に先生の顔を描く時も、周りにお魚を描いていました。
造形としては、ここまで関わって、無事卒園という事になりました。

カニの形も手に入れました

エビも表れました

5月 だんだんと賑やかになってきます

7月 イカやクラゲや貝も

サメらしき魚も

段ボールも魚です

これは本当に頑張りました!

クリスマスカードも周りは魚

先生の顔の絵も魚です

さて、ここからが私の今の考えです。
Kちゃんが、得意の形を手に入れ、自信を持てた事はよいことだと思います。
しかし、冷静に考えると、もしかして私は、大きな間違えをしていたのではないかと思い始めました。
確かに始めは、お魚を描ける事は、喜びであり、積極的な行動だったと思います。
でも後半は本当にそうだったのでしょうか?
もしかしたらKちゃんは、こう思っていたのではないでしょうか。
「お魚さえ描けば、なんとかなる。」
とくに後半、「クリスマスカード」と「先生の顔の絵」を描いた時は、もう、それしかできる事が無いから描いた、というふうに感じました。描いている時や、出来上がって見せてくれる時の姿や表情から、そう感じたのです。
元々、絵を描く事に苦手意識のあったKちゃんの気持ちを考えると、お絵描きで自分を表現する喜びよりも、お絵描きの時間をなんとか上手くクリアーしようという気持ちになるのは、とてもよくわかります。
それはそれで生きていく知恵かもしれないし、彼なりの成長でした。
しかし、造形講師として出会ったからには、なんとかその先まで彼を導いてあげたかったです。
今回の事は、私にとってとてもショックで、残念な事でした。
得意技=素晴らしい事  以外に
得意技=それ以外は自信が無い事  という見方がある事を、改めて考え直しました。
造形は自分の世界を深める場であると同時に、自分の世界を広げるきっかけになりうる場でもあります。その為には、時には、あえて得意技を封じて、子どもが思考停止(楽なやりかた)に陥らない様な課題の設定も大切なのだと思いました。
皆さんは、どう考えますか?