以前、このページで取り上げた「絵を描く事に楽しさを見いだせないKちゃん(4さい)」の話しを書きました。
その後のお話を書きます。
そしてKちゃんとの関わりを経て、私が最後に感じた事のお話です。
4さいの終わり頃からKちゃんの絵に変化が起き始めました。元々生き物が大好きだった
Kちゃんは、自分なりに、お魚の描き方をあみ出しマスターしたのです。
自分の好きな物、思いのある物を、形として目の前に表せることは、とても嬉しいことです。Kちゃんは、そのお魚の形を繰り返し繰り返し、確かめる様に描きました。どんな活動をしても、その自分の得意技であるお魚を描く様になりました。
その後のお話を書きます。
そしてKちゃんとの関わりを経て、私が最後に感じた事のお話です。
4さいの終わり頃からKちゃんの絵に変化が起き始めました。元々生き物が大好きだった
Kちゃんは、自分なりに、お魚の描き方をあみ出しマスターしたのです。
自分の好きな物、思いのある物を、形として目の前に表せることは、とても嬉しいことです。Kちゃんは、そのお魚の形を繰り返し繰り返し、確かめる様に描きました。どんな活動をしても、その自分の得意技であるお魚を描く様になりました。
そこからはもうお魚三昧です。
私は、Kちゃんが「形」を手に入れた事は、歓迎すべき事だと思いました。今まで、とにかく喜びを見いだせないでいたのに、一つ「形」を手に入れた事で、その子の得意技になり、描く事にも積極性が出て来たのです。
そのうち、カニが登場し、エビが登場し、イカやクラゲも描かれるようになりました。
一つできる事を手に入れて、そこから自分の世界を広げていく姿は、一人の人間の生き方そのもののように思えました。
5さいの秋頃には、クラスでも、「お魚と言えばKちゃん」という地位を築き、お友だちに、描き方を指導する姿までも見られました。
その自信のお陰か、担任の先生を絵の具で描く活動も、頑張って挑戦できた事は、4さいの頃からは考えられないくらいの成長ぶりでした。
クリスマスカードや、最後に先生の顔を描く時も、周りにお魚を描いていました。
造形としては、ここまで関わって、無事卒園という事になりました。
私は、Kちゃんが「形」を手に入れた事は、歓迎すべき事だと思いました。今まで、とにかく喜びを見いだせないでいたのに、一つ「形」を手に入れた事で、その子の得意技になり、描く事にも積極性が出て来たのです。
そのうち、カニが登場し、エビが登場し、イカやクラゲも描かれるようになりました。
一つできる事を手に入れて、そこから自分の世界を広げていく姿は、一人の人間の生き方そのもののように思えました。
5さいの秋頃には、クラスでも、「お魚と言えばKちゃん」という地位を築き、お友だちに、描き方を指導する姿までも見られました。
その自信のお陰か、担任の先生を絵の具で描く活動も、頑張って挑戦できた事は、4さいの頃からは考えられないくらいの成長ぶりでした。
クリスマスカードや、最後に先生の顔を描く時も、周りにお魚を描いていました。
造形としては、ここまで関わって、無事卒園という事になりました。
さて、ここからが私の今の考えです。
Kちゃんが、得意の形を手に入れ、自信を持てた事はよいことだと思います。
しかし、冷静に考えると、もしかして私は、大きな間違えをしていたのではないかと思い始めました。
確かに始めは、お魚を描ける事は、喜びであり、積極的な行動だったと思います。
でも後半は本当にそうだったのでしょうか?
もしかしたらKちゃんは、こう思っていたのではないでしょうか。
「お魚さえ描けば、なんとかなる。」
とくに後半、「クリスマスカード」と「先生の顔の絵」を描いた時は、もう、それしかできる事が無いから描いた、というふうに感じました。描いている時や、出来上がって見せてくれる時の姿や表情から、そう感じたのです。
元々、絵を描く事に苦手意識のあったKちゃんの気持ちを考えると、お絵描きで自分を表現する喜びよりも、お絵描きの時間をなんとか上手くクリアーしようという気持ちになるのは、とてもよくわかります。
それはそれで生きていく知恵かもしれないし、彼なりの成長でした。
しかし、造形講師として出会ったからには、なんとかその先まで彼を導いてあげたかったです。
今回の事は、私にとってとてもショックで、残念な事でした。
得意技=素晴らしい事 以外に
得意技=それ以外は自信が無い事 という見方がある事を、改めて考え直しました。
造形は自分の世界を深める場であると同時に、自分の世界を広げるきっかけになりうる場でもあります。その為には、時には、あえて得意技を封じて、子どもが思考停止(楽なやりかた)に陥らない様な課題の設定も大切なのだと思いました。
皆さんは、どう考えますか?
Kちゃんが、得意の形を手に入れ、自信を持てた事はよいことだと思います。
しかし、冷静に考えると、もしかして私は、大きな間違えをしていたのではないかと思い始めました。
確かに始めは、お魚を描ける事は、喜びであり、積極的な行動だったと思います。
でも後半は本当にそうだったのでしょうか?
もしかしたらKちゃんは、こう思っていたのではないでしょうか。
「お魚さえ描けば、なんとかなる。」
とくに後半、「クリスマスカード」と「先生の顔の絵」を描いた時は、もう、それしかできる事が無いから描いた、というふうに感じました。描いている時や、出来上がって見せてくれる時の姿や表情から、そう感じたのです。
元々、絵を描く事に苦手意識のあったKちゃんの気持ちを考えると、お絵描きで自分を表現する喜びよりも、お絵描きの時間をなんとか上手くクリアーしようという気持ちになるのは、とてもよくわかります。
それはそれで生きていく知恵かもしれないし、彼なりの成長でした。
しかし、造形講師として出会ったからには、なんとかその先まで彼を導いてあげたかったです。
今回の事は、私にとってとてもショックで、残念な事でした。
得意技=素晴らしい事 以外に
得意技=それ以外は自信が無い事 という見方がある事を、改めて考え直しました。
造形は自分の世界を深める場であると同時に、自分の世界を広げるきっかけになりうる場でもあります。その為には、時には、あえて得意技を封じて、子どもが思考停止(楽なやりかた)に陥らない様な課題の設定も大切なのだと思いました。
皆さんは、どう考えますか?