2月下旬に3さいと4さいでデカルコマニーという活動をしました。
デカルコマニーとは、紙を半分に折り、その片方に絵の具をつけて閉じ、開くと絵の具が
写って不思議な模様になる、というのを楽しむ絵の具遊びの一種です。フランス語です。
3さいの子たちは、初めのうちとても慎重で、1色付けては写った様子を見て嬉しそうに
先生に見せてくれます。色を混ぜたりせず、1色ずつ増やしていく感じでした。
やがて偶然に画面の中で色が混ざり合うと今度はその事を確かめるように色を重ねたり
混ぜたりを楽しむようになってきました。
初めは片方のページに付けていた子も段々大胆になって来て、両方にまたいで絵の具を
塗り付けています。
それでも閉じて開く事は忘れず、濃い絵の具のニチャニチャ感を楽しんだり、複雑に
混ざった色をじっと見つめたりします。
3さいの子たちにとってデカルコマニーは、絵を写す遊びとは違って、絵の具の面白さ自体を
味わう、絵の具遊びの延長の物だと思います。だから両ページに塗ったっていいのです。
ちなみに、先生やお友達に「わっ」と開いて見せること自体も遊びとして楽しんでいたようです。
デカルコマニーとは、紙を半分に折り、その片方に絵の具をつけて閉じ、開くと絵の具が
写って不思議な模様になる、というのを楽しむ絵の具遊びの一種です。フランス語です。
3さいの子たちは、初めのうちとても慎重で、1色付けては写った様子を見て嬉しそうに
先生に見せてくれます。色を混ぜたりせず、1色ずつ増やしていく感じでした。
やがて偶然に画面の中で色が混ざり合うと今度はその事を確かめるように色を重ねたり
混ぜたりを楽しむようになってきました。
初めは片方のページに付けていた子も段々大胆になって来て、両方にまたいで絵の具を
塗り付けています。
それでも閉じて開く事は忘れず、濃い絵の具のニチャニチャ感を楽しんだり、複雑に
混ざった色をじっと見つめたりします。
3さいの子たちにとってデカルコマニーは、絵を写す遊びとは違って、絵の具の面白さ自体を
味わう、絵の具遊びの延長の物だと思います。だから両ページに塗ったっていいのです。
ちなみに、先生やお友達に「わっ」と開いて見せること自体も遊びとして楽しんでいたようです。
4さいは導入の時から「しってる〜」「うつるんでしょ」と言っていました。
さすがに少し先を読めるようになってきた4さいさん達は、初めから片方にある程度
絵を描いてから閉じて写そうとする子が多かったように思います。
絵を描きながら閉じたらどうなるのか予測をたてて、女の子なんかは、こんな絵にしたい
という計画のもとに絵の具を付けている感じでした。
しかし面白いのは、頭で知ってるのとやってみるのでは大違いで、絵の具は乾くという
現象が起きますし、垂れたり広がったりもします。
それで、メチャクチャ遊びというよりも、自分のしたい事をやりたい気持ちや、結構
ちゃんとしたいという気持ちが強い子達は、自分の思った通りに行かないと、開い
て擦れてしまった所を直塗りで修正したり、上手にしたい所は直描きして折らなかっ
たりしていました。
4さいの子たちにとってデカルコマニーは、もう感触や混色の遊びではなく、作品と
して画面を意識しながら自分のしたい事を積み重ね完成させていく事を喜びにしている
ようです。
もちろん初めから計画があるわけではなくて、遊んでいるうちに「あ!」と思いついたり
もします。
その偶然と意志との行ったり来たりが面白いのが、このくらいの年齢の子の遊びなのです。
さすがに少し先を読めるようになってきた4さいさん達は、初めから片方にある程度
絵を描いてから閉じて写そうとする子が多かったように思います。
絵を描きながら閉じたらどうなるのか予測をたてて、女の子なんかは、こんな絵にしたい
という計画のもとに絵の具を付けている感じでした。
しかし面白いのは、頭で知ってるのとやってみるのでは大違いで、絵の具は乾くという
現象が起きますし、垂れたり広がったりもします。
それで、メチャクチャ遊びというよりも、自分のしたい事をやりたい気持ちや、結構
ちゃんとしたいという気持ちが強い子達は、自分の思った通りに行かないと、開い
て擦れてしまった所を直塗りで修正したり、上手にしたい所は直描きして折らなかっ
たりしていました。
4さいの子たちにとってデカルコマニーは、もう感触や混色の遊びではなく、作品と
して画面を意識しながら自分のしたい事を積み重ね完成させていく事を喜びにしている
ようです。
もちろん初めから計画があるわけではなくて、遊んでいるうちに「あ!」と思いついたり
もします。
その偶然と意志との行ったり来たりが面白いのが、このくらいの年齢の子の遊びなのです。